さんぎょうのおぼえがき

アニメとかの話

黑川杯体験記、ならびに私の現況説明、あるいは(私としては極めて珍しい)思想の明文化、またはノンポリツイッタラーは如何にして心配するのを止めて黑川杯に参加するようになったか

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0.前提知識としての参考文献リスト、あるいは時系列的な言論の羅列

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1.黑川杯参加経緯と当日の体験記

1.1 前日までの流れ

私が「黑川杯」を知ったのは、本当に偶然であった。 ツイッターのタイムラインで、誰かが面白半分に回してきたのが目に止まったのだ。 「面白い!!!!!」。 私は企画の痛快さに一目惚れしていた。

これには、大きく分けて2つの要因がある。

第一に、これは言うまでもなく、黒川元検事長の処分に対する疑義である。 テンピンレートが市井において広く黙認されていることは十分に承知しているが、 同時に、それは法の条文としてはまごうことなく違法行為である。 誰よりも法を遵守すべき役職に就いた者がそれに手を染めていたことが明らかになったとき、 違法性について正式な捜査を経ることなく訓告処分で手打ちとされた、その状況に対して憤りがあった。

黒川氏という私人に対して思うところはない。検事長を務めていようが、賭け麻雀をしたくなることもあるだろう。 しかし、違法行為に手を染めるのならば、それが発覚した際は捜査に晒され、起訴・不起訴から始まる公的判断を受ける必要がある。 それが、憲法によって統制された国家権力に、主権を預け、支配を預ける国民の義務であろう。 捜査がなされ、その結果、判例や証拠不足から判断して不起訴処分とされるのならば、私はその「判決」に異論を持たない。 そこに疑義を申し立てるのは私の知識と判断の域を超えており、有識者に預けるべき案件であるからだ。

黒川元検事長の一件を通じて、私は国家権力というシステムの揺らぎを感じていた。 しかしそれを、デモや抗議活動という形で表出することは、私は自分に許せなかった。

私はデモが苦手である。 他人がやる分には勝手にすればいい。左翼だろうが右翼だろうがノンポリだろうが、主義主張のもとに団結して行動によって示すことは、好きにすればいい。 私が苦手なのは、「デモ」という形態に自分が参画することである。 主義主張の表現手段としてパッケージされた「デモ」という形態に自らを組み込み、「デモ」の一部として振る舞うこと、 その行為自体に私は強い抑圧を感じて、自らその門下に入ることが耐えられないのである。

そういうわけで、私は、国家権力の揺らぎに対する憤りや不安を、表出する手段を持たなかった。 せいぜいがツイッターでオブラートに包んだ皮肉として表現する程度だった。 「社会への怒りを具体的にはっきりと主張する」という行為も、ある種の定型化された社会活動であり、私はそれに参画できない身であったのだ。

私にとって、黑川杯は「既成のパッケージに囚われずに社会へのおそれを表出できる」企画であった。

第二に、「黑川杯」のセンスが、私に強く共鳴した。

私はガキンチョである。 人の揚げ足を取ってからかい、親や先生の言っていることの穴を突いてしたり顔をすることが大好きな、救いようのない悪ガキである。 もちろん、誰彼構わずそのような態度を取ることは、社会的に許されるものではない。 愛すべき友人に対してそのようなことをすれば関係を損なうことは間違いない。 だからこそ私は「大人になり」、良識ある善良な一市民として振る舞ってきた。 その「良識ある善良な一市民」としての自分が偽りであったというつもりはない。 それを選択したのは自分であり、自分はそのような自分であることに引け目を持っていない。 しかし、それと同じくらい、私はどこまでいっても「悪ガキ」であり、 権威的なものを、ある程度安全であることが確保されている場所から、おちょくりからかう機会を伺っていた。

私は、友人知人たちと比べて、この「安全」の基準が極めて低いらしい。 いわゆる「普通」の人は、自らの社会的信用や経歴に傷が付くことをもって「危険」と認識するらしいが、 私は、精神・身体の活動に重大な後遺症が残る可能性が高くないのであれば、十分に「安全」であると感じる。 もちろん警察の非人道的取り調べによって命を落としたり後遺症が残ったりする嘆かわしい事件も発生しているが、 それも統計的には少数であり、本件のようなセンシティブな案件において、警察が杜撰な外れ値的振る舞いをする可能性は低いだろう。

また、ガキンチョの私は、私の行ないによって人を驚かすことが好きだ。 なるべく多くの人をぎょっとさせたい。 その点、黑川杯は、時事性、問題提起性、ユーモアセンスから、十分に注目されることが期待された。 (そして実際、結果論として、それは正しかった。私はそのことで深く悦に浸っている)

私にとって、黑川杯は「リスクはあるがそれ以上のリターンを期待できる」企画であった。

このような条件が重なり、私は「黑川杯」という企画に惚れ込んだ。 企画概要を読み終わったときには既に、なるべく中心的な役割で参加したいという思いは固まっていた。 少々迷ったのは、平日開催となった場合に仕事を休めるかどうか、という、実務的な点だけである。 そうして私は、twipla上では3番目の参加者として、黑川杯に名を連ねたのである。

それから数日後、主催者たる自稱家元氏と通話をし、 本企画が賭博罪での現行犯逮捕の危険性を伴い、逮捕によって社会的地位を失う可能性があるというご説明と、それでもやるのかという意思確認を受けた。 私は、「こんな面白い企画をみすみす見逃すのは絶対に嫌だ」という思いを伝え、氏に「舊知の間柄のような氣がした人」として認めていただき、打ち手として、黑川杯へ参加する承認をいただいた。

通話を終えた直後、数日後に設定された開催日に合わせて、私は夜行バスのチケットを取った。 コロナの煽りだろうか、夜行バスの本数は少なく、値段は私の体感よりずっと値上がりしていた。

「黑川杯」のビラを作り、配ったのは、私の一存である。

その場を通りかかった何も知らない市民の認識が、「アブナイ人がヨクワカランことをしている」で終わるのが、私には勿体なく感じた。 黑川杯というイベントをなるべく広く告知するために、そして黑川杯というイベントの物質的な記憶として、 私は企画に極力沿ったデザインになるようにビラを作成した。 文章内容は、それによって自稱家元氏が不利を被らないよう、氏による声明からなるべく内容を変えないように編纂したものだ。 (もし文面が異なってしまっているために法的に穴が出来ているとすれば、それは私の責任であり、深くお詫び申し上げます。 また、ビラ配り行為そのものが条例などに引っかかるおそれについては、当日は見落としておりました。今後はより慎重に判断いたします)。 ロゴのデザインも、企画の意図を汲み、まず第一に麻雀大会のロゴとしてカッコよくなることを目標とした。 その上で、これは私の個人的主張、あえて言うならば「作家性」として、一抹の風刺を混ぜ込んだ。 出来栄えにはかなり満足しているので、もしよければ、皆様もう一度見ていただきたい。面白いロゴだと思ったら褒めてもらえると嬉しい。 (文字に使用したフォントは商用・非商用問わず使用可能なフリーフォントであり、使用用途を制限する条項が無かったため、その点の問題はクリアしていると認識しています)。

1.2 当日の動き

5月29日夜、仕事を早めに切り上げた私は、最低限の荷物だけを持って夜行バスに乗り込んだ。 高いバスの座席は三列シートで、カーテンを引いて個室のようにすることができた。 私が知る、四列シートの座席で肩をぶつけ合いながら、人間が貨物のように輸送される格安バスと比べて、大変快適な一夜を過ごせた。

30日早朝、東京に着いた私は友人宅で待機し、 その後、都内某所で黑川杯運営者の一人と落ち合った。 その人物に案内され、某書店にて逮捕された際の対応をまとめた冊子を買い与えていただき (非常に趣味が良く面白い書店であったので、今後も東京に赴いたときには足を運びたいと思う)、 その後、霞が関の駅で主催者一味と合流した。

検察庁庁舎は、霞が関駅から歩いてすぐの場所にあった。 我々は歩道橋下を会場として見定めた。 この場所で慎ましく雀卓を囲んでいれば、「交通の妨害となるような方法で物をみだりに道路に置いたり、道路上の人や車を損傷させるおそれのある物を投げるなどの行為を行うこと」という道交法上の禁止事項に当たらず、 道路使用許可を申請する必要もない。これは、私自身が事前に警察庁HPで条項を確認し、私自身として判断したことだ。 これで道交法でお縄などという興醒めな幕切れは避けられるはずだ。 唯一懸念があるとすれば、ちょうどすぐ脇の車道端に停められた、一台の車両から醸し出される不穏な気配だけであった。

雀卓を設置し、牌をケースから出したあたりで、件の車両から警察官が飛び出してきた。 その後の警察官とのやり取りについては、動画記録を参照いただくのが良いだろう。 警察官の頑なな態度に対して、恫喝的・罵声的にすら感じる大声と強硬的態度で対抗するという、新左翼的なやり口については、正直言って面食らった。 しかし、善良な一市民として暮らしてきた私には、法的根拠が薄いままに体制側の思想を押し通そうとする警察官と真正面から対峙するための方法論が無く、その場はお任せするのが妥当であろうと判断した。

私は、緊迫した雀卓付近を離れ、怪訝な目で見守る通行人・周辺住民へビラを配るために走り出した。 それは、問答無用でしょっぴかれる危険性から距離を置く逃げの一手であり、せっかく刷ったビラを無駄にしたくないという貧乏根性であり、作ったビラを見てもらいたいという顕示欲であり、 黑川杯が「おっかない活動団体の意味不明な反社会的行動」というお仕着せの認識で人々に刻み込まれることへの恐怖であり、 黑川杯という企画を一人でも多くの人に知ってもらいたいという使命感であり、 平穏な日常生活を乱していることに対する説明責任であった。

私は、騒動に目を向けているあらゆる人にビラを配った。 怪訝な顔をしながらビラを受け取る人が大半だった。 受け取りを拒否して足早に立ち去る人も多かった。 応援の言葉を掛けて、政治への怒りを語るおじさんがいた。 「インターネットで見たよ」と反応してくれたお兄さんがいた。 不思議な目で見ていた少年たちには、一人ひとりにビラを手渡して、ご両親に聞いてみるよう促した。 外国人らしき一団は、ビラの日本語が読めなかったので、拙い英語で黒川元検事長の事件の経緯と自分たちのやろうとしていることについて説明し、最終的に "Thank you!" の言葉を交わしあった。

私のビラ配りは、雀卓が場を移し、公園内での攻防に戦局が移ってからも続いていた。 フェンスの向こうから眺めていた人たちに、フェンス越しにビラを渡した。 若い男女二人連れ(夫婦だろうか?)の、女性の方からは、「子供の居る公園にこのような険悪な空気を持ち込むのは許せない」と険の強い眼差しで主張された。まったくもってその通りだ。 私が謝罪し、主催者に伝えておくと答えると、彼女は「あなたに言うことじゃないけれど」と、少し目を伏せて付け加えた。その一言によって、私は彼女を尊敬した。

ビラ配りは雀卓の動向を伺いながら行なっていたが、気付くと既に東一局が始まっていた。 警察による目隠しがあったとはいえ、あれほど強く打ち手として参加したいと願いながら、開始時にその場に居なかったのは完全なる不覚だった。 雀卓は既に、岩のように押し黙った警官たちによって取り囲まれており、それを押しのけて席につこうとすれば公妨を取られるのは明らかだった。 それでも私は、警察官の隙間から手を伸ばし、東二局から参戦することに成功した。

警察官の陰に隠れ、警察官に触れないよう隙間を縫って、不自由な視界で配牌を確認し、ツモ牌を上家に取ってもらう。麻雀としてはあまりにもひどい環境だったが、 その姿が私には、私自身の人生そのものの戯画であるように思えて、無性に愉快な気持ちであった。 幸いにして配牌は極めて良かった。配牌時点で刻子が2つほどあり、残りもほとんどが面子に絡んでいる。 運が良い。心からそう思う。私はここ一番の悪運はとことん強い人間なのだ。

「おまわりさんも一緒に麻雀打ちましょうよ!」

私は自然とそう言っていた。もちろんこれは、警察官を挑発したい悪ガキの言葉である。 しかし同時に、純粋に彼らと、「警戒対象と警察官」としてではなく人間同士として遊びたい、そんな思いの発露でもあったように思う。

ムダヅモも少なく手が進み、流れるように立直を宣言した。そして私は一発でツモった。 立直ツモ一発という運の塊のようなアガリ手だ。40符3翻の5200点だったように思うが、私は恥ずかしながら点計算ができず、またあの場で正確に点計算できる者がいたかは非常に怪しい。 しかし、そんなことはどうでもいい。「旧知の間柄のような気がする人」で打つ麻雀で、点のことなど細かく言わなくてもいいだろう。

そして東三局の準備をしているうちに、公園の閉園時間が迫っていると告げられた。 撤収するべきだろう。私はそう思ったし、同席者は皆そう思ったようだ。 雀卓と牌は速やかに片付けられ、私たちはその場を後にした。

半荘達成ならずによる賭博不成立。 一旦解散してから場所を移して再開すれば、警察官の目を縫って、賭博を完遂することも可能だっただろう。 しかし私がそこまで付き合ったかどうかは疑問だ。 確かに、賭博の現行犯で逮捕されるという経験への興味はある。 しかし、一旦はお開きになった場を再び加熱してまでイデオロギー的純粋性を求めるという「活動家的」な真摯さは、私は持ち合わせていなかった。 私はもう既に満足した。警察がわんさか動いたし、観衆へのパフォーマンスも済んで、打ち手として一局上がるという名誉も手にした。 もう十分だった。私はもう、すっかり満足していた。

その後、自稱家元氏を中心とした一団は、遠巻きに監視する警察官たちを眺めながら、広場の外で互いをねぎらい、駄弁り、遅れてやってきた取材班に対応し、ブランコで遊んでいた。 私は、その一団の隅っこに引っかかりながら、観衆として足を運んできていた知人らと思わぬ再会をしたことを喜び、近況報告などをしていた。

そして私たちは公園を後にし、打ち上げの飲み会へと流れていったのだった。

2.私について

もしかすると私を以前から知る人の中には、私の身を案じてくれている人がいるかも知れない。 怪しげな市民運動に面白半分に飛び込んで、危険思想の尖兵へと身を落とす可能性を、憂いてくれているかもしれない。

確かに私は、この黑川杯を通じて、いわゆる「活動家」と知り合い、その人らと親しい会話を交わした。 彼らとの会話は心地よく、彼らに魅力を感じているのは事実である。

しかし私は、徒党を組むのが嫌いだ。徒党を憎んでおり、徒党を恐れている。

共同体の「ウチ」は、それ自体として存在するものではない。 共同体の「ソト」を定義して、ソトを排除することで初めてウチが立ち現れる。 共同体という概念は、それがどれだけ包摂的な思想を掲げていようと、宿命として、排外的なものである。 私はその排外性に対して、パラノイアにも近い恐怖を覚える。

唯一、私に宿っている思想、私に宿っている正義を明文化するとすれば、「何者をも切り捨てない」である。

私はどんな凶悪犯であろうとも絶対悪として切り捨てない。 彼が確固たる思想によって犯罪を犯したならば、そのような思想を抱き、犯罪に至るまでに信じてしまった、彼を悼む。 彼が心神耗弱状態で犯罪に至ってしまったならば、そのような状態にまで追い込まれてしまった、彼を悼む。

私はどんな模範市民であろうと絶対善として受け入れない。 彼が模範的であるべきと無批判に信じているのならば、模範に対して批判的視点を欠いていることに対して、彼を憎む。 彼が自覚的に模範的たらんとしているならば、模範的でない部分を押し殺してまで模範に頭を垂れる敬虔さに対して、彼を憎む。

私は私の敵を慮る。私は私の友を疎む。

私はあらゆる共同体から爪弾きにされうるというパラノイアを抱え、それを矯正して切り捨てることを恐れる。

私は何者をも切り捨てない。

切り捨てられる何者かは、ある側面において、愛すべき私である。

切り捨てる何者かは、ある側面において、憎むべき私である。

だから私は、私自身を愛し、私自身を憎むがゆえに、何者をも切り捨てない。

この姿勢に対して自覚的になれたのは、つい最近(しかし黑川杯立案よりはずっと前)のことである。 なので、古くから私を知る人にとっては、私が変わってしまったように見えて、怖い思いをさせてしまっているかもしれない。

確かに私は変わってしまった。しかし、私は変わっていない。私が研ぎ澄まされて、私の本質があらわとなり、私という存在が鋭くなった。それだけの変化である。

なので、活動家界隈からの悪影響を心配している方は、安心していただきたい。 私はどのようなオルグに対しても拒否感を示す。

しかし同時に、常にオルグに対して拒否感を示せるほど、真摯で敬虔な者でもない。 私は弱い。短気で、せっかちで、すぐにカッとなって衝動的な行動に走ってしまう。 なので、目に余る行動があったら、それとなく知らせてほしい。 その忠告を、私は私が私自身を見つめ直すシグナルの一つとして、使わせていただく。 見つめ直した結果、忠告に従わないことも多々あるだろう。私は頑固者である。 しかし、少なくても、私を慮って忠告してくれたこと自体に対して感謝を示せる程度には、私は他者に敬意を払っている。そのつもりである。

ツイッターの使いみちも、私の主観としては、以前と変わりない。 思いついたネタをツイートして、気になったことの話をして、好きなことを話して、人とリプライを交わす。それ以上でもそれ以下でもない。 最近は仕事が忙しくて、アニメや映画を全然見られていないが、面白そうな作品は次々発表されている。早く見たい。

もしかすると、私のツイートは、フォロワー諸氏の求めているものではないかもしれない。 そのときは、あなたが好きなことについて、楽しそうに話してほしい。 私は移り気で尻軽なので、楽しそうなことにはすぐに飛びついてしまう。 あなたが楽しそうな話をしていて、私がそれに興味を持ったら、私はその話をし始めるだろう。

ぜひとも、あなたの話をしてほしい。

私は、あなたが知りたい。 あなたと私のどこが同じで、どこが違い、どこがどちらとも言えないのか、その境界を見定めたい。 その境界こそが、私ではないあなたの輪郭である。その境界を追い求めるほど、あなたの輪郭はより鮮明になっていく。 好きな相手のことだったら、私はどれだけ解像度を上げても飽き足らない。私は探究心が旺盛である。 その観察的な視線に嫌気が差したときは、申し訳ないが、優しく諭してブレーキをかけてほしい。 愛すべき友人を解剖にかけて喜べるほど、私は悪趣味になりきることができないのだ。

際限なく書き連ねることは可能だが、説明責任を果たす目的ではこの程度で十分だと判断して、一旦筆を擱く。

3.むすび

私は自分について語るのが嫌いである。

それは、「私の姿をよく知られたら嫌われる」というパラノイア的強迫観念であり、自分のことをベラベラ話すのはダサいという美意識であり、自分のことを話すのは恥ずかしいというシャイさの発露であり、生き様で語る新宿 Style への憧れである。

黑川杯に関しても、十分に世間的に話題になった現在、これ以上私が躍起になってツイートするのはむしろイタいだろうと判断して、ある段階から意識的に私としての言及を避け、関係者の言論のRTに留めていた。

しかし、自稱家元氏の総括文を拝見し、突然押しかけた私が自らについて明かさないのは、黑川杯に尽力してくださった氏に対して礼を失すると判断したため、このような長文をしたためた。

氏とは短い付き合いである。twipla を見るまで存在も知らなかった。細々した連絡は交わしたが、通話したのは開催前の一度きり、実際に会ったのは当日の一度きりである。

しかし私は、氏を信頼している。十年来の友人たちと同様に、あるいは、ある側面においては彼ら以上に、氏を信頼している。氏は「旧知の間柄のような気がする人」であると、私は思っている。

信頼とは同調ではない。氏の思想は、むしろ私にとって、理屈は分かるが承服しがたいことのほうが多かろうと思うし、そもそも氏の主張についてよく知らない。

しかし、黑川杯に対する真摯な態度とバランス感覚を通じて、私は氏を信頼した。 もし今後、氏が同様の面白い企画を発案し、私がそれを「面白い!!!」と感じたら、 私は躊躇うことなくその企画に飛び乗り、私の持ちうる全てをもって、面白い企画をもっと面白くするために尽力するだろう。

そのような私の行動や態度は、社会の一員として生きる者として、正しいことでは決してないだろう。 しかし私は善良な市民である。少なくとも、そのようにありたいと願い、そのようにあれるよう努力している。

私は、法や文化を尊重して人を敬愛する善良な市民でありたい。

私は、法や文化を崇拝して人を警戒する正しい臣民でありたくない。

私は、私でありたい。

ただそれだけのことである。

私の全ては、本当に、ただそれだけなのである。

【黑川杯体験記、ならびに私の現況説明、あるいは(私としては極めて珍しい)思想の明文化、またはノンポリイッタラーは如何にして心配するのを止めて黑川杯に参加するようになったか】